手の味
—自己反省の記録から–
子供頃の記憶です、今から六十年から七十年前のお話です。
その頃は、冠婚葬祭を自宅で行なって居ました。住むのがやっとの方々は、お寺や公民館を借りて行いました。
未だ「結ゆい」が残って居た時代、招待客の料理やそれぞれの準備を,お役お役で行なって居ました。
(日本の一部地域では、農作業や家屋の建築など、人手が必要な作業を地域住民が共同で行い助け合う慣習を「結(ゆい)」と呼びます。)
行事が決まると婦人頭(かしら)見たいな,地域女性のまとめ役が集まり、予算や何をどの程度準備するなどが話し合われます。その折に料理の種類と担当が決まります。
ばら寿司の仕上げはAさんに煮物味付けは担当はBさんにと言った具合です。
地区の人達は、個人の料理や味や性格まで、正しく認識して担当を決めて居ました。
確かに酢の物は母の担当でしたので、とても美味しく頂いて居りました。
その頃は、人の手の味があった時代でした。
そんな頃、母より若い婦人が料理の味つけを習いに来ていました。
母は、いつも料理を一緒に作りながら教えていました。
「いつもどうして、作りながら教えるの?」と聴きました。
「手の味は、重さグラムや長さセンチでは説明できないから、目や手、そして舌の感覚で伝えます。」と母は答えます。

私です。「お前は、私は、己は」と言われる自らはどうしましたか?。
「弟子を取った。弟子に教えた」などとは言っているが「不遜では」と、反省仕切りです。今,改めて省みると、母が一々米を炊き、団扇使い、冷ましながら甘酢をかけて鮨飯を仕上げる。野菜を茹で少量の魚味と塩と酢で作る(酢の物)総て実演の中で「手」で教えていました。
大切な大切な針灸の技術を、何故に実演を持って教えなかった。反省仕切りです。
言い訳をすると、同じ症状の患者さんはいない。又数センチの深い部分のミリ単位の治療は、伝授が難しいですね。と情け無い言い訳をしている。
